自然農法という言葉は、美しい。
「自然に寄り添う農業」「本来の姿へ戻る」
そんな響きは、誰の心にも優しく届く。
でも、土と向き合ってきた中で
どうしても拭えなかった違和感がある。
それは、
理念や価値観が“本来の意味を離れて独り歩きし、
現場より先に一人で走ってしまっている” ということ。
自然農法を否定したいんじゃなくて、
誠実な農業を考えるうえで、
避けられない話がここにある。
今日はその部分を静かに書いてみる。
■ 1. 「手間をかけるほど偉い」という“価値観の絶対化”
自然農法の界隈でよく聞く言葉がある。
- 「これだけ手間をかけたから価値がある」
- 「農薬を使わないから高くて当然」
- 「自然に任せるからこそ素晴らしい」
でも現場で野菜と向き合うと分かる。
手間そのものは価値ではない。
価値になるのは“結果としての味と品質”。
本来は食べた人の笑顔がゴールやのに、
“手間=価値” が絶対化されてしまう空気がある。
これは誰かが悪いという話じゃなく、
理念だけが先に走り、
現実が後ろから追いかける歪さ に違和感があるんよね。
■ 2. 実践農家より、“教える側”が強くなってしまう構造
自然農法の世界には、
コミュニティで“先生”の立場になる人がいる。
お金を取っている人もいれば、
無償のまま周りから「師」と持ち上げられる人もいる。
でも、その構造を冷静に見ると——
一番大変な“現場”より、
理念を教える側のほうが強くなる。
これは宗教とか宗派とかじゃなく、
「思想が先に大きくなりすぎて、
実践の裏付けが伴わないまま広がる現象」
と言ったほうが近い。
■ 3. “先生と呼ばれる快感”に依存してしまうケースもある
これは個人攻撃じゃなく、構造の話。
お金を取っていなくても、
「先生」と呼ばれる立場に快感を覚えてしまって
その状態に依存してしまう人がいる。
人数を集めることが目的になり、
お山の大将みたいな状態になってしまう。
でも、
人数が多い=正しい
では絶対にない。
ここで危ういのは、
“感覚の共有が、いつの間にか絶対化されてしまうこと”。
■ 4. エビデンスより体験談が優先される危うさ
自然農法界隈でよくあるのが、
- 「私はこうだった」
- 「知り合いの誰々がこう言ってた」
という 体験談だけで農業全体が語られてしまう こと。
体験は大切やけど、
それはエビデンスではないし、
普遍的な根拠ではない。
本来、農業は
体験×科学×検証
が揃って初めて“再現性ある知識”になるはず。
そこを飛ばして語られてしまうと、
始祖の本来の意図からどんどん離れてしまう。
■ 5. 自然=安全、科学=危険という“単純化”は危険
自然は優しい。
科学は怖い。
そんな二元論が語られることがあるけど、
現場では逆のことも多い。
自然の脅威は本物やし、
カビ毒や病原菌は、
人間の想像以上のスピードで進化する。
コロナやエボラだって自然の一部。
だから、
自然=絶対の安心
という単純化は、むしろ危ない。
自然農法の思想を否定するんじゃなくて
自然そのものの“強さと脅威”を軽視した瞬間、
人の安全から離れてしまう という話。
■ 6. 農薬だけが危険というのは、事実に合わない
適切に管理された農薬で
消費者が死亡した例は、
現代日本ではほぼゼロ。
もちろん使い方が悪ければ危険。
盲信していいわけでもない。
でも、
農薬だけを悪とし、
自然だけを安全とする考え方
それは実態とズレてる。
怖いのは農薬ではなく、
カビ毒のように“自然由来でコントロールしづらいリスク”も多い。
■ 7. 自然も科学も否定しない。“間”に立つという選択
自然は尊重する。
でも盲信はしない。
科学も使う。
でも頼りすぎない。
必要なものは必要なだけ。
余計なものはいれない。
この“間”に立つ農業こそ、
食卓に責任を持つ姿勢やと思ってる。
農法ではなく、
姿勢で勝負するという選択。
■ 8. 価値観は否定しない。でも他を下げて売るのは違う
自然農法を選ぶのも、
慣行農法を選ぶのも、
どちらも価値観であって、
どちらも間違いじゃない。
ただ、ひとつだけ言いたい。
価値観を武器に、
他の農家を下げて売るのは“差別化”じゃない。
本来の差別化は
自分の強みと誠実さを磨くことで生まれる。
誰かを蹴落としてできる差別化は、
自分の価値まで下げてしまうだけ。
■ 9. 新規就農5年でも、勉強量では負けない。経験はこれから追いつく。
農業は年数だけじゃない。
どれだけ考えて、どれだけ学んで、
どれだけ誠実に向き合ったかで変わる。
自然、科学、病害、カビ毒、農薬、土壌。
全部学ぼうとした分だけ、
現場で使える引き出しが増える。
経験値はこれから追いつく。
勉強量はすでに私の武器になってる。
■【まとめ】
自然農法が悪いわけじゃない。
慣行農法が善なわけでもない。
問題は、
“理念や価値観だけが独り歩きし、
本来の目的から離れてしまうこと”。
信じたいのは農法ではなく、
作り手の姿勢。
次回は
「“無農薬だから高い”は本当に正しいのか?」
を書きます。
