前回は「努力の方向」の話を書いた。
努力の量ではない。気合でも根性でもない。方向と道具の話だ。
今回は、その続きとして、もう一段、経営の現実に踏み込む。
テーマは借金である。
農業に限らず、借金という言葉には拒否反応が出やすい。
しかし私は、借金を「善悪」で語るものではなく、時間と売上を先取りするための経営手段だと捉えている。
■ 借金は帳簿上の負債。でも経営上は“未来の売上の前借り”
借金は、会計上は間違いなく負債だ。ここは事実として動かない。
ただ、経営の視点に立つと意味が変わる。
借金は未来の売上の前借りであり、言い換えれば「売上が立つ前に、必要な資源を先に投入する権利」だ。
時間をお金で買う行為でもある。
だから借金は、怖いかどうかではなく、回収の設計があるかどうかで判断すべきだと思っている。
■ 「いくら借りた」は武勇伝ではない。価値があるのは“信用”だ
「いくら借りた」と、どこか誇らしげに語る人がいる。
それを“すごい”と言いたくなる気持ちも分かる。
ただ、尊敬すべきポイントがあるとすれば、金額そのものではない。
それだけの資金を任せてもらえる信用を積み上げてきたことだ。
逆に、借金が大きいという事実だけが切り取られて、
「借金大王」みたいな悪い意味の噂が流れることもある。
けれど、借金は人格評価ではない。
良いか悪いかを分けるのは、使い道と回収の設計だ。
自慢げに語る必要はない。
一方で、怖がりすぎて選択肢を捨てるのも違う。
借金は“金額”ではなく、“信用”と“設計”として見た方がいい。
■ だから「生活を回すための借金」は健全ではない
ここが分かれ目になる。
借金の中で一番危険なのは、“今を回すため”の借金だ。
- 生活費の穴埋め
- 赤字の補填
- 苦しさの先延ばし
これは未来の売上を前借りしていない。
単に“明日の自分”にツケを回しているだけだ。
一方で、
- 生産性を上げる
- 作業を省力化する
- 仕組みを変える
- 余白(考える時間)を作る
こういう借金は、未来の売上を先取りしている。
同じ借金でも、意味はまったく違う。
■ 借金の本質は「返済」ではなく「回収」
借金を語ると、すぐ「返せるかどうか」の話になる。
もちろん返済できなければ終わりだ。
しかし、経営判断として本当に見るべきはそこではない。
見るべきは、回収できる構造になっているかだ。
- どの作業が短縮されるのか
- 何時間が浮くのか
- その時間を何に振り向けるのか
- 粗利がどれだけ増えるのか
- 何年で回収するのか
ここを数字で置けるなら、借金は「怖いもの」ではなくなる。
■ 投資と浪費の境界線は“高い/安い”ではない
ここで多くの人が混乱する。
「高い機械は浪費」
「安い買い物は正義」
そうではない。
投資と浪費の境界線は価格ではなく、回収設計の有無だ。
■ 「余裕のあるスペック」と「過剰投資」は別物
少し余裕のあるスペックを持つこと自体は、健全な場合がある。
将来の作付・労働力・販路の伸びを見込んだとき、買い替えコストや機会損失を減らせるからだ。
ただし、それは前提がある。
- その余裕が“近い将来”に使われる見込みがある
- 余裕分も含めて回収できる設計がある
- 使わない期間も耐えられるキャッシュ計画がある
この条件がないのに、
「いつか使うかもしれない」だけで背伸びするのは、単なる過剰投資になる。
過剰投資とは、要するにこういうことだ。
“回収の根拠が薄いまま、固定費と返済負担だけを増やす行為”
これは投資ではなく、浪費に近い。
■ 借金を怖がる人ほど、選択肢が狭くなる
借金を極端に怖がると、経営はこうなる。
- 小さな改善しかできない
- 本質に手を付けられない
- 判断が遅れる
- 仕組みが変わらない
- 結果、永遠に忙しい
これは気合の問題ではない。
資本装備が足りない状態で戦っているだけだ。
■ まとめ:借金が怖いのではなく、「設計なし」が怖い
借金は負債だ。
でも経営上は、未来の売上を先取りする手段でもある。
怖いのは借金ではない。
回収設計なしで借りること、そして
過剰投資で固定費だけを増やすことだ。
逆に言えば、回収の根拠があり、数字で説明できるなら、借金は武器になる。
経営は、善悪ではなく、設計で決まる。

コメント