米高騰・米不足と言うけれど——米を作っていない農家から見える本音
今さらの話かもしれませんが、「米が高い」「足りない」「農家が大変だ」——
そんな言葉を、ニュースやSNSで今でもよく目にします。
現象としては事実です。
ただ、農業の外からこの世界に入ってきた人間として、そして農業を「事業」として見ている立場からすると、正直、強い違和感があります。
今日は、その違和感をそのまま書きます。
■ 1. そもそも、米高騰・不足は「結果」にすぎない
今回の米高騰や不足は、突然起きた事故でも、誰か一人の責任でもありません。
高齢化
後継者不足
低収益構造
改善を先送りしてきた業界体質
これらが長年積み重なった結果が、たまたま今、表に出てきただけです。
それにもかかわらず、今さら慌てて
「国が悪い」「JAが悪い」「消費者が悪い」
と言い出すのは、私から見ると正直ズレています。
■ 2. 農業の外から来た人間として、どうしても言いたいこと
私は農業の外からこの世界に入りました。
20代で事業を始めてから、金融機関と向き合い、借金を使い、そのお金を返せる根拠を問われ続けてきました。
事業計画書の書き方、借りたお金をどう活かすのか、返せるのか、返せないのか。
評価軸は、基本的にそれだけです。
最高で5,600万円まで借りたこともあります。
ただ、金額自体は問題ではありません。
重要なのは、返済の可能性があるかどうか、それだけです。
2,000万円の借金で苦しんだ経験もあれば、5,000万円の借金が淡々と終わった経験もあります。
商売の世界では、決して珍しい話ではありません。
貸す側の銀行が、甘い事業計画に突っ込むのは当たり前です。
それを辛い時間だと思ったことはありません。
むしろ20代の自分にとっては、金融のプロとロジックで話す、学びの多い楽しい時間でした。
未だに、ちょっと事業計画書見て一緒に考えて!と、金融機関に出向くこともあります。
この感覚で経営を見ていると、感情論で語られる農業の議論に、どうしても違和感が残ります。
■ 3. 「国民食だから安く」は、商売の言葉ではない
「国民食だから、本当は安く食べてほしいです」
「私たちも資材高騰で困っています」
こういうインタビューを、何度も見た記憶があります。
正直に言います。
その二つを同時に言った瞬間、商売としては破綻しています。
安く売りたい。
でも苦しい。
それは優しさでも誠実さでもなく、価格決定から逃げている状態です。
米が国民食かどうかと、経営が成立するかどうかは、まったく別の話だと思っています。
■ 4. なぜ、すべての物価が上がっているのに農業だけ上がらないのか
ガソリンも、電気も、建築資材も、ほぼすべてが値上がりしています。
それなのに農業だけは、「上げるな」「我慢しろ」「守れ」という空気が残っています。
理由は単純です。
安い相手に、安い売り方で、安さを正義にして売ってきたから。
国も、マスコミも、国民も、そして農業側も、長い間その前提を疑わずに受け入れてきました。
■ 5. 相場を見ている時点で、経営の主語は自分ではない
「相場が安い」
「価格が決まらない」
そう言いたくなる気持ちは分かります。
ただ、相場を見て文句を言っている時点で、経営の主語は自分から外れています。
相場は変えられません。
変えられるのは、
生産効率
規模
作り方
売り方
ここだけです。
■ 6. 「毎年トントン、少し赤字」という言葉への違和感
「毎年トントンです」
「少し赤字ですが、生活は何とか回っています」
こういう言葉を聞くたびに、正直、疑問に思います。
なぜ農地を広げないのか、と。
今が限界。
品質が落ちる。
体力的にしんどい。
言っていることは理解できます。
農業がしんどいことも、年齢や体力の問題があることも事実です。
ただ一方で、現実として休耕地は増え続けています。
「今で限界」と言いながら、農地が余っていく状況と、話が逆行していないか、と感じることがあります。
本当に「少し赤字」なのであれば、
作業効率や段取り、規模、設備の使い方を見直すことで、プラスに転ぶ可能性は十分にあるのではないでしょうか。
少なくとも、
損益分岐点がどこにあるのか。
今の面積で、どこまでやれば黒字になるのか。
どの作業が一番コストを食っているのか。
これを感覚ではなく、数字で把握することは、経営者として最低限必要だと思っています。
農業がしんどいからこそ、
数字を見ずに「何となく続ける」ことの方が、結果的に自分も、次の世代も苦しめる。
この話は、以前書いた後継者や引き際の話にも、まっすぐつながっています。
■ 7. シェアを持っているのに、価格を決めない不思議
一定の作付面積があり、生産量もあり、地域でのシェアを持っている。
それなのに価格は農協任せ。
正直、意味が分かりません。
「今の仕組みでは価格交渉なんてできない」という反論があることも承知しています。
ただ、それはできない理由であって、経営判断ではありません。
シェアを持ちながら、価格決定権を持てない販路を選び続けているのであれば、
経営の主語は最初から自分にありません。
価格を決められない仕組みに乗るのか、
価格を決めにいける売り方を考えるのか。
それ自体が、経営判断だと思っています。
■ 8. 米をやらないのではなく、「今はやっていない」
誤解されやすいので書いておきます。
私は米作りを初年度だけ経験していますが、今はやっていません。
ただし、「やらない」と決めたわけではありません。
どれだけ計算しても、現状の規模(約2町)では機械代も労力も合わない。
米だけで1.5町以上をきちんと回せる規模になるまで、順番として後回しにしているだけです。
■ 9. 助成は使う。でも依存はしない
助成金や補助金を、私は否定しません。
実際に積極的に使っています。
ただし、助成は赤字補填のための金ではありません。
伸びるための投資資金です。
これは搾取ではありません。
納税として返す意思があり、国を支える産業を担う覚悟があります。
助成がないと生活できない経営と、助成を使って一段上に行く経営は、似ているようでまったく別物です。
実際、「農家は甘やかされている」と直接言われることもあります。
それに反論したいわけではありません。
ただ、そう思われてしまう現状があること自体が、私は悲しい。
思考停止した相手と討論する気はありません。
けれど、そう見られてしまう構造が残っていることは、真剣に受け止める必要があると思っています。
■ まとめ
米高騰、米不足。
それ自体は事実ですが、問題の本質はそこではありません。
相場に預け
価格を決めず
感情で語り
外に責任を出す
その積み重ねが、今の状況を作っています。
農業は特別な世界ではありません。
事業として見れば、起きていることはすべて説明がつきます。
農業の外から来た人間として、私はそう思っています。

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