第3回|結局、野菜の美味しさは“鮮度”に尽きる──市場流通では絶対に叶わない理由

白いカブのアップ写真と「市場に出荷しない理由とは?」の文字が入ったアイキャッチ画像
市場に出さない理由をテーマにした記事のアイキャッチ画像です。

農業には多くの流通の形がある。
市場出荷、契約出荷、直売所、無人販売所、ネット販売。

どれが正解・不正解という話ではない。
それぞれに役割があり、それぞれに向いている農家がいる。

ただ私は、“市場を中心には選ばない”。
理由は単純で、その先にある“食卓の会話”が見えないから。

今日はその理由を静かにまとめてみたい。

■ 1. 市場に出すと「責任の行き先」が途切れる

市場出荷は効率が良い。
出荷した後は価格も売れ行きも市場に委ねられ、労力は少なくて済む。

ただ、その分だけ失われるものがある。

それは、
“誰が、どんな場面で、どんな表情で食べてくれるのか”
という一番大切な情報。

市場に並んだ時点で、作り手はその野菜と完全に離れる。

・美味しかったのか
・子どもが食べてくれたのか
・また買いたいと思ってくれたのか

その声が一切届かない。

私の農業の中心はそこにあるから、市場を主軸にはできなかった。

■【補足】市場に“全く”出さないわけではない

誤解のないようにしておきたい。

私は市場流通を全面否定しているわけではない。
万願寺とうがらしやナスのように収量が一気に増える作物は、
その日の鮮度を逃さないために市場へ出荷することもある。

市場も産直も、本来はどれも大切な流通であり、
価値を決めるのは場所ではなく“売り手の姿勢”。

誠実な扱いをすれば市場でも美味しい野菜は並ぶし、
逆に、どれだけ立派な農法を掲げても、
売り手が誠実でなければ結果は食卓に表れる。

私はただ、自分の農業の軸が
「食卓の会話が見える距離」にあるだけ。

その価値観が市場中心のスタイルには合わなかった、というだけの話だ。

■ 2. 感想が届かない農業は、改善ができない

農業は自然相手でもあり、同時に“お客さんの生活相手”でもある。

畑は作物の状態を教えてくれる。
だが、食卓の反応を教えてくれるのはお客さんだけだ。

・子どもが初めて食べてくれた
・夫婦で「今日これ美味しいね」となった
・お弁当に入れても喜ばれた
・去年より甘く感じる

こうした声が、次の栽培の判断につながる。

市場ではその声がゼロになる。
改善の種も、喜びの瞬間も返ってこない。

農業にとって、それは大きな損失だった。

■ 3. 多くの流通を通れば、鮮度も落ちていく

市場が悪いわけではない。
ただ、多くの流通を経れば、鮮度が落ちるのは必然である。

「ここの野菜は本当に美味しい」と言っていただくことがある。
その言葉はとても嬉しい。

しかし、その“美味しさの理由”を突き詰めると、
ほとんどの場合 “鮮度” に行き着く。

野菜を産地や生産者別に同時に食べ比べる機会は、品評会でもない限りまず存在しない。
家庭では「いま目の前にある野菜」だけを評価するしかない。

ほうれん草一つとっても、気温が下がった地域のものは自然と甘くなるし、
同条件で食べ比べること自体が不可能に近い。

だから、生産者ができる唯一の本質は
“その瞬間に最も美味しい状態で出すこと”。
そこに農法やラベルよりも強い価値がある。

■ 4. 「売れたら終わり」ではなく、「食べてもらって完結」

市場の魅力は効率・量・安定性。
それは農業の大きな武器でもある。

ただ私は、
“売れた瞬間に関係が切れる農業” に馴染めなかった。

作物は畑で終わらない。
お客さんの食卓で終わる。

「今日これ美味しいな」
「この味、久しぶりやな」
「これなら子どもが食べる」

その会話まで含めて、農業だと思っている。

だから、顔が見える距離でしか売らない。

■ 5. 無人販売所でも妥協しない理由

無人販売所はシンプルな場所。
だけど、距離が近いからこそ誠実さをごまかせない。

・その日の味のノリ
・収穫タイミング
・野菜同士の相性
・おすすめの食べ方
・作柄のリアルな声

こうした情報を“鮮度のまま”届けられる。

そして何より、無人販売所であっても、
味が乗っていないものは絶対に置かない。

作ったから出すのではなく、
食卓まで責任を持てるものだけ出す。

市場より小さな場所だけれど、
だからこそ成立する農業がある。

■ 6. 食卓の会話まで想像できる農業をしたい

市場に並んだ野菜は“商品”でしかない。
だが私にとって野菜は、食卓の会話の入口だ。

「これ美味しいね」
「この味、なんか懐かしい」
「これなら子どもが食べる」

そんな会話が生まれる景色を想像しながら畑に立つ。

その景色が見えない距離感の農業は、私には向いていなかった。

市場を否定するわけではない。
ただ、私の農業の“軸”がそこにない。
それだけのことだ。

■【まとめ】

市場を使わないのは効率を捨てた選択ではなく、
こだわりの押し付けでもない。

食卓の声が届く距離で、結果に責任を持ちたいから。

野菜は畑で完結しない。
食卓で完結する。

だから私は、市場を“中心には”選ばない。
その距離でしか作れない価値がある。

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